すこし前の話だが。
私は病欠で会社をその日1日お休みした。
もうどうしても疲れに疲れきって、お喋りする元気はあるけど体は確実に1日働き通すだけの体力が残ってない、この状態で行ってもおそらくむしろ足手まといだ、と感じた。
まる1日休むのは実に久しぶりだったので、ちょっとそのときのことを記録として残してみようと思う。
丈夫すぎてまったく休まない
実は私は、中学生から社会人約10年目の今に至るまで、病欠でまるまる1日休む、ということがただの一度もなかった(早退は二、三回あったが)。
なぜって、全然具合が悪くならないのだ。
世の中の平均よりは明らかに丈夫だと思う。風邪も一年に一回かかれば多いほうだし、かかったとしても多少喉が痛くなるくらいで、仕事に支障はない。熱も出ない。
唯一あげるとすれば頭痛持ちではあるが、薬を飲めばすぐおさまるので、これもあまり仕事に支障はない。
交通機関の乱れ以外で遅刻したこともない。そんなわけで、中学・高校と連続で皆勤賞をもらい、専門学校は皆勤賞の表彰は無かったが、一応皆勤だった。
こうして書いてみるとすごく真面目な優等生みたいだな。
驚くほど丈夫で休まない私のことを、かつての上司は「鉄の女」と呼んだ。
いや、別に特に嬉しくはないが。
会社に電話するのってすごく緊張する
そして、私はついに「今日1日絶対働けない」と感じて、上司に電話した。
今の所属は忙しい時とそうじゃない時の差がものすごく激しくて、ちょうどこの二ヶ月間半ほどずーーーっと忙しくて疲れる仕事内容だった。
久しぶりに休むことになった理由が風邪でも怪我でもなく、「疲れ」だったのである。
まさか自分でも、休みたくなるほど疲れるなんて日が来るとは思ってもいなかった。
だから正直に言うと、電話することを少しためらった。職場がただでさえコロナで数人やられて人が足りないというのに、休んでいいんだろうか。
でもよく考えてみると、今休んでおかないと、この忙しい時期を乗りきれそうにない、だったら今日1日きっぱり休んでしまおう、と思い直し、心に決めた。
休みます、なんて連絡するのは何年ぶりだろう。そもそも、私がかつて欠席していたときはまだ小学生の低学年かそこらだったので、おそらく自分でではなく、親が連絡を入れてくれていたと思う。
だからもしかしたら自分で連絡するのって初めて・・・?
いやぁ、あれほど緊張することはないな、とあとから思った。いつも毎日顔を合わせているのに、上司に電話って手が震えるね。別にその上司が苦手なわけでもキライなわけでもないのに。
むしろこれ、ちょくちょく休む連絡を入れている人のほうがメンタル強い気がする。偉いわ。
そして休みが確定すると襲ってくるほんのりとした罪悪感。
そもそも疲れで欠席になるような職場ってヤバイのでは?
私は普段全然休まないからこそ、今の職場が少しおかしいような気がしてならない。病気やケガならまあわかる。もともと虚弱ぎみの人だってそういう体質だろうからまあわかる。でも、私のような休まない人間が「疲れ」で休むというのは危険な感じがする。
いまの仕事は店頭に立ってお客さんにモノを販売する、超王道の接客業なわけだが、うちの所属は期間によって扱う商品をガラリと変える。そういう販売スケジュールを決めるのは現場の人間ではなく、現場なぞちっとも見たことのない上の方々なのである。
だから想像できない。どうやって人が現場を回していくのかを。
きっとスケジュール組むほうは売上取りたいから、ずっと売上が高い人気の商品や企画で回したいんだと思う。それ自体はわかる。売上あっての会社だし。
でも、人気商品や人気企画だとお客さんがものすごい人数で、正直いまの現場メンバーの人数では回しきれない印象。一人の仕事負担が多いというか。
今の人数でずっと人気企画を回すのはおそらく無理だと思う。実際、みんなが疲れ始めた頃にいっきに数人コロナに感染、私のように感染はしていなくても仕事行けない疲れた、となって突然休む人が増えた。たぶんみんな免疫落ちてる。
ずーっと走り続けることはできない。いつか休まないと。
いまの人数でなんとか乗り切ってしまっている現場の私達も頑張りすぎなんだと思う。ムリならムリ、って言わないといつまでたってもキツいよね。
きっと上の人達は社員の健康とか考えてないんだろうな。現場なんて知らないだろうし。まあ、末端の社員なんて、代わりがいくらでもいる、という気持ちなんだろう。悲しいけど。
でもそういう状況になってしまっているのは私達ではなく会社のせいなので、休むことそのものに罪悪感は持たなくていい。決して。きっと会社は現場が崩壊しきったあとでないと手遅れになっていることに気づかない。
だったらむしろ気負わず休みたいときは休んで、崩壊の兆しを少しずつみせてやればいい。
そうは思うけど、みんながみんなそんな強気メンタルでいられないからことはそう簡単ではないのだというのもまた事実である。