いまさら読書

おだやかに生きていくために試行錯誤するブログ

テレビをなくして、静寂に包まれたい。

いつ頃からかはハッキリ分からないが、数年前から、何やら音が気になるようになった。

 

外に出れば、車の走る音、人の足音、会話のざわめき。

仕事に行くときに乗る電車の音。

職場の(売り場の)BGM、レジでバーコードを読むピッピッという音、休憩所の他人の食器の扱い、話し声、椅子をひく音。

家にいても、狭いうちだから、家族の気配や生活音が。

 

いつの間にか耳栓を持ち歩くようになった。仕事中は相手の話が聞こえないとまことにマズいので耳栓をしないが、本当はしていたい。

 

一人でいるときなど、聞き取らないといけない相手がいないときは耳栓をすることがある。

 

別に耳栓なしで耐えようと思えば出来ないわけではない。それに昔から音が気になっていたわけではない。ここ数年の話なのである。

 

ネットで調べると聴覚過敏やHSPといった言葉が出てくるのだが、彼らがどういう状態かを読んでいると、私は彼らほどには音に敏感ではないと思うし、繊細でもないと思う。

 

じゃあ私のこの中途半端な耳は一体どうなっているんだろうと思う。

 

特にここ最近はどうしてもテレビの音が気になる。

私の両親は朝起きてトイレに行ったその次にはもうテレビをつけている。外から帰ってきたらすぐテレビをつける。「面白い番組がまったくない」とぼやきながらも、起きている間はほぼずっとテレビがついている。

 

どうせどの局もグルメかランキングかクイズしかやっていないのだから、つまらないなら消せばいいのに、と思う。

 

職場に行ったら行ったで、2か所ある休憩所のどちらにもテレビが完備され、人がいる時間帯はずっとつけっぱなしである。

そこでもくだらないグルメとランキングとクイズを聞き流すハメになる。休憩所では休憩させてほしいもんだ。

 

なので今の生活だと、仕事で売り場に立っている間か電車などの移動中のときしか、テレビから逃れられない。

 

夜、親が寝てテレビが消えると世界がとても静かで心地良い。木の葉っぱが風でこすれる音や、虫の声が気持ちいい。自分の内側が静かになっていくのを感じる。

 

その時間をもっと感じていたくて、夜更かししてしまう。

 

どうやら私は、自然の音はわりと大きくても気にならないらしいことがわかってきた。鳥の声やセミの声、風の音、雨がふる音(それが台風で荒れた雨風の音だったとしても)、そういう音はむしろ聞いていたい。

 

 

最近考えていて分かったのは、おそらく自分が疲れているから音が気になるんだ、ということだった。

 

 

というのも、耳栓を持ち歩いてはいるものの、休日はほとんどつけないで過ごせる。けれど仕事の日は電車の中や休憩中に耳栓で音を和らげないとイライラしてくる。

 

自分が知らないうちに、仕事に対して精神的に負担、というか、ストレスがかかっているのかもしれない。それに対する体の反応が、私の場合は音に多少過敏になることに表れているのかもしれない。

 

両親はテレビがついているのが当たり前になっていて、特に父親はテレビ漬けなので(しかも聞こえにくいのか音量が大きい)、テレビを無くしたいなんて言ったら気が狂ったのかと思われそうだ。

私自身が家を出て一人暮らしでもしない限りは、テレビの音がどこまでも追いかけてくるだろう。

 

今の生活を急に変えることは出来ない。

でも本当は、今すぐテレビを捨てて静寂に包まれたい。もっと頭の中を静かにさせたい。

 

世の中の皆さんは、家族と暮らしていてこういうことがあったとき、どうしておられるのだろうか。お家が広ければ遠くの部屋に避難できそうだけど、日本の家は狭いから難しいだろうな。

 

とにかく今は、スマホをいじったり、本を読んだりすることで意識を多少そちらに向けて、音が気にならない「つもりで」生活している。

そして、なるべく休日はゆっくりする。

 

いつの日か、このなんとなく心が疲れている感じがなくなったら、また以前のように音が気にならなくなるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、両親が出かけていて留守にしているこのスキに、静かな部屋でキーボードを叩いている。